最高裁判所第一小法廷 昭和44年(オ)212号 判決 1972年4月20日
上告人・附帯被上告人
片岡寿三郎
代理人
藤井瀧夫
外一名
被上告人・附帯上告人
丸文株式会社
代理人
泉博
被上告人
高橋ふみ
外三名
代理人
吉田正一
主文
原判決中上告人敗訴部分のうち上告人の被上告人丸文株式会社に対する予備的請求に関する部分を破棄し、右破棄部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。
右破棄部分を除くその余の上告人敗訴部分に関する本件上告を棄却する。
本件附帯上告を却下する。
右棄却部分に関する上告費用は上告人の、附帯上告費用は附帯上告人の、各負担とする。
理由
上告代理人藤井瀧夫の上告理由第一点について。
原審は、訴外高沢きくおよび同高橋信久は、いずれも、弁護士である訴外中村荘太郎から、被上告人丸文株式会社と上告人との間に一たん成立した本件土地および建物の売買契約がすでに有効に解除され、上告人はもはやその所有者ではない旨の説明を受けたため、これを信用して、右土地および建物を買い受けたものであると認定しているのであり、そして、原審の右認定は、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)挙示の証拠関係に照らして、首肯することができないわけではない。したがつて、訴外高沢きくおよび同高橋信久が、いずれも、上告人が本件土地および建物の所有者であることを認識しながら、これを買い受けたものであることを前提として、右高沢きくおよび高橋信久による右土地および建物の各買受けは公序良俗に違反するものであつて無効であり、また、同人らは上告上の登記の欠缺を主張するにつき正当な利益を有しない背信的悪意者であるという上告人の主張は、結局、理由がない。また、訴外中村荘太郎は、被上告人丸文株式会社と訴外高沢きくとの間の本件土地および建物の売買契約については、契約締結のあつせんをしたものにすぎず、その実質上の買主となつたものではないとする原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして、首肯することができないわけではないから、右中村荘太郎がその実質上の買主であることを前提として、右売買契約は弁護士法二八条に違反するという上告人の主張も、理由がない。原判決に所論の違法はなく、論旨は、ひつきよう、原審の適法にした証拠の取捨判断および事実の認定を非難するか、また、原審の認定にそわない事実関係を前提として原判決の違法をいうものにすぎず、採用することができない。
同第二点について。
論旨は、要するに、原審が、被上告人丸文株式会社と上告人との間に成立した本件土地および建物の売買契約にもとづく右被上告人の所有権移転義務の履行不能による損害賠償額を、原審の口頭弁論終結時における右土地および建物の価値を基準として算定せず、履行不能時におけるその価格を基準として算定した点に、債務の履行不能による損害賠償額の算定の基準時に関する法令の解釈適用を誤つた違法、ないしは、審理不尽、理由不備の違法があるというにある。
そこで、考えるに、およそ、債務者が債務の目的物を不法に処分したために債務が履行不能となつた後、その目的物の価格が騰貴を続けているという特別の事情があり、かつ、債務者が、債務を履行不能とした際、右のような特別の事情の存在を知つていたかまたはこれを知りえた場合には、債権者は、債務者に対し、その目的物の騰貴した現在の価格を基準として算定した損害額の賠償を請求しうるものであることは、すでに当裁判所の判例とするところである(当裁判所昭和三六年(オ)第一三五号同三七年一一月一六日第二小法廷判決・民集一六巻一一号二二八〇頁参照。)。そして、この理は、本件のごとく、買主がその目的物を他に転売して利益を得るためではなくこれを自己の使用に供する目的でなした不動産の売買契約において、売主がその不動産を不法に処分したために売主の買主に対する不動産の所有権移転義務が履行不能となつた場合であつても、妥当するものと解すべきである。けだし、このような場合であつても、右不動産の買主は、右のような債務不履行がなければ、騰貴した価格のあるその不動産を現に保有しえたはずであるから、右履行不能の結果右買主の受ける損害額は、その不動産の騰貴した現在の価格を基準として算定するのが相当であるからである。
ところで、上告人は、原審において、上告人が被上告人丸文株式会社から買い受けた本件土地および建物の価格は、右被上告人がその所有権移転義務を履行不能とした後も、騰貴を続けているという特別の事情があり、かつ、右被上告人は、不動産業を営む者であつて、右義務を履行不能とした際、右のような特別な事情の存在することを充分に知つていたかまたはこれを知りえたものというべきであるから、上告人は、右被上告人に対し、右土地および建物の騰貴した現在の価格を基準として算定した損害額の賠償を請求することができると主張して、右履行不能後の昭和三八年一二月当時における右土地および建物の価格である金六四七万二〇〇〇円に相当する損害額の賠償を請求していたことは、原判文および本件記録に徴して、明らかである。
しかるに、原審は、単に、上告人は本件土地および建物を自己の住居の用に供するために買い受けたものであつてこれを他に転売する目的で買い受けたものではなかつたことが明白であるし、本件の所有権移転義務の履行不能はその履行期以後に生じたものであるから、右履行不能の結果上告人の受ける損害額は右土地および建物の履行不能時の価格を基準として算定するのが相当であるという第一審判決の判示をそのまま引用するだけで、右土地および建物の価格の騰貴について上告人の主張するような特別の事情が存在するか否か、また、そのような特別の事情が存在する場合には、被上告人丸文株式会社が、右土地および建物の所有権移転義務を履行不能とした際、その特別の事情の存在を知つていたか否か、または、これを知りえたか否かについては、何らの判断も示すことなく、上告人の右主張を排斥しているのである。
しかし、これでは、原審は、上告人の右主張を排斥するにあたり、債務の履行不能による損害賠償額の算定の基準時に関する法令の解釈適用を誤り、ひいては、上告人の被上告人丸文株式会社に対する右損害賠償請求に関する判断につき審理不尽、理由不備の違法をおかしたものといわざるをえないから、原判決の右違法を指摘する本論旨は、理由があるというべきである。
したがつて、原判決中上告人敗訴部分のうち上告人の被上告人丸文株式会社に対する右損害賠償請求、すなわちその予備的請求に関する部分は、上告理由第三点について判断するまでもなく、破棄を免れない。
附帯上告人丸文株式会社の附帯上告について。
附帯上告は、それが上告理由と別個の理由にもとづくものであるときは、民訴規則五〇条の定める当該上告についての上告理由書提出期間内に附帯上告状を裁判所に提出してすることを要するものであり(当裁判所昭和三七年(オ)第九六三号同三八年七月三〇日第三小法廷判決・民集一七巻六号八一九頁参照。)、そして、本件附帯上告状記載の附帯上告理由が本件上告理由書記載の上告理由と別個の理由にもとづくものであることは、右両者を対比して、明らかであるところ、本件記録によれば、本件上告についての上告受理通知書が上告人の代理人藤井瀧夫に送達されたのは昭和四四年一月一三日であり、また、本件附帯上告状が当裁判所に提出されたのは昭和四六年一一月五日であることが認められるから、本件附帯上告状は本件上告についての上告理由書提出期間の経過後に提出されたものであることが明らかである。したがつて、本件附帯上告は、不適法であつて却下を免れない。
よつて、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、三九九条ノ三、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(岸盛一 岩田誠 大隅健一郎 藤林益三 下田武三)
上告代理人藤井滝夫の上告理由
第一点 <略>
第二点 上告人は第一審以来本件の履行不能による損害賠償額は、履行不能時である昭和三三年三月二四日の価格でなく、時価即ち口頭弁論終結時の価格によるべきことを力説し、原審に於ては御庁昭和三七年十一月十六日言渡の判決を引用し(昭和四三年三月十二日附準備書面第二項)、本件土地建物の価格が騰貴しつつあるとの事実が存在し丸文株式会社は不動産会社であつて履行不能を生ぜしめた際これを知つていたか、または知り得たものであるから現在の時価を請求しうるものであることを主張し、さらに同四三年九月十一日附準備書面第五項に、口頭弁論終結時に近い時期である同四一年六月三十日に為された鑑定人木村宇佐治の鑑定による本件土地建物価格合計金四、四九五、三〇〇円を援用した。
原判決事実摘示は、上告人が昭和三八年十二月当時の時価による損害賠償を求める(九枚目表一行目)とあるが、右は第一審の主張時で原審では前記の通り「現在の時価」による請求をなし昭和四一年六月三十日現在の鑑定の結果を以て主張したのである。
上告人は損害賠償算定の基準時を重要争点として控訴したのであるが、原審はこの点につき何等の判断を加えず、第一審の判決を引用した。而して第一審判決は(二四枚目裏六行目より)「損害賠償額について原告片岡は本件土地建物を自らの住居の用に供するため買受けたものであり、右履行不能は履行期以後に生じたものであるから損害額は右履行不能時の価格であると考えるのが相当である」と判断した。
然し乍ら前記御庁判例によれば、損害賠償の額は「原則としてその処分当時の目的物の価格であるが、目的物の価格が騰貴しつつあるという特別の事情があり、債務者が債務を履行不能とした際その特別の事情を知っていたかまたは知り得た場合は、債権者はその騰貴した現在の価格による損害賠償を請求し得る。けだし債権者は債務者の債務不履行がなかつたならば、その騰貴した価格のある目的物を現に保有し得たはずであるから、債務者はその不履行によつて生じた右価格による損害を賠償すべき義務あるものと解すべきだからである。ただし債権者が右価格まで騰貴しない前に右目的物を他に処分したであろうと予想された場合はこの限りでなく、また目的物の価格が一旦騰貴しさらに下落した場合に、その騰貴した価格により損害賠償を求めるには、その騰貴した時に転売その他の方法により騰貴価格による利益を確実に取得したであろうと予測されたことが必要であると解するとしても、目的物の価格が現在なお騰貴している場合においてもなお、恰も現在において債権者がこれを他に処分するであろうと予想されたことは必ずしも必要でないと解すべきである」から本件に於ては、「その騰貴した現在の時価による損害賠償を請求し得る」こととならざるを得ないのである。
然るに第一審判決は、「本件土地建物は住居の用に供するため買受けたものであり、これを転売して利益を得る目的でなかつたこと及び履行不能が履行期以後に生じたことのみを理由としてその他の理由を示すことなく前記御庁の判例に反する判断を為した。若し御庁判例に従つてなおかつ履行不能時の価格を相当とするには、
(一) 目的物の価格が騰貴しつつあるという特別の事情がなかつたか、
(二) 右特別事情はあつたが債務者たる丸文が知りえなかつたか、
(三) 現在に至る以前に於て上告人が本件物件を他に処分したであろうと予想されたか、のいづれかが存しなければならない。
(一)については、公知の事実であり、且丸文もこれを自認しこれを以て事情変更による本件売買契約解除の事由として援用しているところであり、原判決(二一枚目裏四行目以下)は、「そのころ(註、本件売買契約が昭和二三年二月成立し、その約四年半後に代金と家賃が完済された時点)から解除の時期である昭和三十三年一月までになお土地の価格が著しく上昇したことは顕著である」ことを認定しているから右特別事情の存在は明白である。
(二)については、丸文が不動産の所有と賃貸等を目的とする会社で終戦当時東京都内だけで八万坪程の土地を所有していた地主であつた、昭和二三年二月本件物件を代金七一、〇〇〇円で上告人に売却し同三三年一月には代金三〇〇、〇〇〇円でこれを訴外高沢に売却している事実並びに当時不動産の価格が騰貴を続けていたことは顕著な事実であつたことによつても右特別事情を丸文が知りまたは知りえたことも明らかである。
(三)については、上告人が居住の用のために買受けたもので転売目的でなかつた事実から上告人が他に処分をしなかつたであろうとの推測がなされるし、また丸文に於てこの点を争つてもいない。
要之、損害賠償額は、現在の時価とならざるをえない。原審の引用する第一審判決は御庁の判例に反し損害賠償額につき解釈を誤り、または上告人の為したる特別事情の存在の主張に対する判断をなさず、審理不尽、理由不備の違法がある。<以下略>